ほら穴の物語
放課後、僕は近くの山に犬のシロを連れて散歩にでかけたんだ。
いつもの散歩コースをいつものようにぶらぶらと歩いていると、山の斜面に穴があるのに気がついた。
「あれ、こんな穴あったかな」
僕は、腰をかがめると穴の中を覗いてみた。
中は暗くてよく見えない。
するとシロが急に吠え始めたんだ。
何かがいるのかもしれないけれど、中に入る勇気なんてない。
僕は通り過ぎようとしたのに、シロはどんどん中に入って行こうとする。
僕はどうしてもほら穴入るのが嫌で思わずリードを離してしまったんだ。
「シロー!」
僕がいくら呼んでもシロは戻ってこない。
「困ったなぁ」
シロをこのまま置いていくわけにはいかないけど、中に入るのはやっぱり怖い。
「シロー、シロってばー」
僕がいくら呼んでも返事はないし、戻って来る気配もない。
しばらくほら穴の入り口でしゃがんでいたけれど、外はだんだん暗くなるし、中はますます真っ暗になって、僕は本当に泣きたくなってきた。
すると、穴の奥の方からシロの鳴き声が聞こえたんだ。
「シロ、戻っておいで!シロ!」
僕は、さっきよりずっと大きな声で叫んだ。
シロは僕の声に答えるように吠えたまま、また静かになってしまった。
もしかして、この中はすごく広くてシロは迷子になってしまったのかな。
いや、犬は人間より鼻がいいんだから迷子になんてならないだろう。
もし迷子になるのなら僕のほうだ。
そんなことを考えていると、シロがまた鳴いた。
僕はもうどうにでもなれと思って、その穴の中に飛び込んだんだ。
入り口は腰を曲げないと入れなかったけれど、奥に進むと普通に立って歩けるくらいの高さがあった。
それでも中は真っ暗なままだから、僕はずっと「シロ」と呼びながら歩いた。
シロは僕が呼ぶたびにワンと鳴いた。
怖くてしかたなかったけれど、シロの声が聞こえるから僕は何とか進むことができたんだ。
シロの声がだんだん近づいてくると、不思議なことに辺りが少しずつ明るくなってきた。
そして、やっとシロの姿を見つけた僕は思わずシロに飛びついたんだ。
「シロ、ダメじゃないか。もう、僕の心臓はドキドキしすぎて壊れそうだよ」
シロを撫でていたら随分気持ちが落ち着いた。
僕は、少し余裕ができて、辺りを観察してみたんだ。
すると、隅っこに小さなテーブルがあって、その上にロウソクとノートとペンが置いてあるのを見つけたんだ。
「やっぱり誰かいるんだ!」
僕は、またドキドキがとまらなくなった。
でも、よく見るとそのテーブルの奥はもう行き止まりで、誰かが隠れる場所なんてない。
だけど、こんなものがあるということは、人がいるという何よりの証拠だ。
そして、こんなところにいるのはどういう人なんだろうと想像すると、背筋がス~ッと冷たくなった。
「ねえ~っ、シロ、もう本当に帰ろうよ」
僕はシロに泣きついたけれど、シロはすっかりくつろいで、後ろ足で耳をかいている。
だけど、よく考えたら入り口からここまでは一本道のはずだ。
真っ暗で見えなかったから、左右の壁をずっと手で触りながら歩いてきたのだから。
僕はそう自分に言い聞かせて落ち着きを取り戻そうとしたけれど、やっぱり一刻も早くここから出たい。
「シロ、シロってば、ほら行くよ」
僕がいくらリードを引っ張ってもシロは動く気配がない。
僕はもう我慢できなくなって泣き出した。
そんな僕をなぐさめようとしたのかシロがくっついてきたけれど、涙は止まらない。
なぐさめるくらいなら、ここから早く出てくれればいいのに。
随分長いこと泣いて、泣き疲れた僕はいつの間にか眠っていた。
シロの鳴き声で僕は目を覚ました。
シロは僕の服を咥えるとテーブルの方に引っ張った。
「や、やめてよ、シロ」
シロは雑種の小型犬だから、僕が引きずられるなんてことはまずない。
だけど、今はとにかくものすごい力で引っ張るから、僕は必死に抵抗したけれど全然歯が立たない。
そのまま引きずられて、ついにテーブルのところまで来てしまった。
僕は恐る恐る、テーブルの上に置いてあるノートをめくってみたんだ。
ノートの表紙には「ほら穴の物語」と書いてあった。
そしてその中身は、「ある日、少年が犬の後を追ってほら穴に入ると、テーブルの上にロウソクとノートとペンを見つけた」と書いてあったんだ。
「シロ、これ僕たちのことじゃないか!やっぱり怖いよ!早くここから出ようよ!」
僕は必死になってシロに泣きついた。
ところがシロは僕の言葉に耳を貸さないどころか、ほら穴の最奥の壁にガリガリと爪を立てて掘り始めたんだ。
「シロ、そっちじゃないってば!出口はあっち」
僕は必死に出口を指さしてシロのことを引っ張ったけれど、シロはびくともしないで懸命に壁をひっかいている。
「もう、今日のシロは本当にどうかしてるよ」
僕は心も体もへとへとでその場に座り込んだままシロのことを眺めていた。
すると突然シロが引っ掻いていた壁がガラガラと崩れ落ち、あっという間にぽっかりと大きな穴が開いたんだ。
そして、シロはその穴目がけて突進したものだから、リードを握っていた僕の腕は思い切り引っ張られ、腕が抜けそうになった僕はシロの後を追ってその穴をくぐり抜けたんだ。
外に出るとそこは見覚えのある場所だった。
なぜだか分からないけれど、家の裏庭にシロと僕は立っていた。
僕はとっさに後ろを振り返った。
しかし、そこに穴などない。
ただ真っ暗な雑木林が広がっているだけだ。
もちろん何がどうなってここにいるのか、そんなことは全く分からないけれど、とにかく無事に家に帰って来れたことが僕は嬉しかった。
「シロ、どうなってるのか説明してよ」
僕がそう言うと、シロは「くぅーん」と困ったような声を出して犬小屋に入ってしまった。
僕は「シロがしゃべれたらいいのに」と独り言を言うと、あきらめて家に入った。
「ただいまー」
僕は今の出来事を話そうか迷ったけれど、まだ心の整理ができていないから、やめておいた。
「どうしたの?随分遅かったわね」
母さんは夕飯づくりの真っ最中で、こっちも見ないで言った。
「うん、ちょっと遠くまで行ってみたんだ」
「あら、そう。もうすぐできるから、先に宿題やりなさい」
「はーい」
とても宿題をやる気分じゃなかったけど、ここで小言を言われることを思ったら、ふりだけでもしてやり過ごすのが今の僕には一番楽だった。
ランドセルから宿題を取り出しリビングに行くと、珍しく父さんが帰ってきていた。
「お、宿題か、えらいな」
父さんは何かをぺらぺらめくりながら言った。
「うん」
僕は、適当に返事をすると父さんの向かいに座った。
何気なく父さんの読んでいるものに目をやった僕は思わず立ち上がった。
「と、父さん、それどうしたの!」
父さんが手にしていたのは、僕がさっき見た「ほら穴の物語」だったのだ。
「ああ、これか。なんだか急に思い出して、さっき押し入れから出してきたんだ」
そう言って父さんは話し始めた。
「これは、父さんが小さい頃お前のおじいちゃんが書いてくれたんだ。だけど、おじいちゃんはお話なんて書いたことがないから、最初は張り切ってたのに、結局続きが書けなくてそのままになっちゃったんだよ」
「見てもいい?」
父さんから受け取ってページをめくると、さっきと同じで最初の一文しか書いてなかった。
「続き、書いていいぞ」
「えっ?」
そう言うと父さんはテレビをつけて野球中継を見始めたんだ。
「ほんと?」
僕だってお話なんて書いたことがかなったけれど、その時はなんだかうれしくて思わずそう答えていたんだ。
それから、そのノートは僕の宝物になった。
今日も僕はおじいちゃんの物語の続きを書いているんだ。
日戻りカレンダー
一日の終わりにカレンダーめくるのが僕の日課だ。
えいっと勢いよく今日の分をちぎり、くしゃっと丸めてゴミ箱に捨てる。
これでやっと今日が終わり明日を迎えるという気持ちになるんだ。
次の日の朝、目が覚めた僕は何気なくカレンダーに目をやった。
すると、どうしてだか昨日の日付に戻っている。
あれ、おかしいな?
僕は夕べ昨日の分は確かにめくったはずだ。
念のためゴミ箱を覗いてみると、空っぽだ。
ええっ、戻ってる?
僕はこれは夢なんじゃないかと何度もカレンダーをぺらぺらとめくってみたけれど、どうやら本当らしい。
自分の記憶を疑いたくはないけれど、夕べはきっとたまたまめくるのを忘れたんだろう。
そんな風に思って僕はカレンダー一枚めくり、日付を確認すると、慎重にゴミ箱に捨てた。
そのまま学校に行った僕はカレンダーのことなどすっかり忘れていたんだ。
夜になりいつものようにカレンダーをめくろうとして、僕は今朝のことを思いだした。
いや、昨日はうっかりしていただけだ。
僕は気を取り直して今日の日付のカレンダーをめくるとゴミ箱に捨てた。
捨ててから、僕はもう一度日付を確認した。
たしかに明日の日付になっている。
僕は「よし!」と気合を入れるとスッキリした気持ちで眠りについた。
次の日の朝起きてすぐ、僕はカレンダーを見た。
すると、その日付はあろうことか一昨日のものに戻っている。
僕はベッドから飛び起きてゴミ箱を覗くとやっぱり空っぽだ。
僕はカレンダーを注意深く観察した。
夕べ確かに破り捨てたはずだから、もし仮に誰かが元通りにしようとしたならセロハンテープで張り付けてあるはずだ。
だけど、カレンダーは破れてもいないし、セロハンテープもくっついていない。
「ええ~っ」
僕は、わけが分からなかった。
だけど、カレンダーの日付が今日じゃないことはどうしても許せない。
だから、僕は一昨日と昨日の分をビリビリとめくりゴミ箱に捨てた。
「これで今日になった。もう、勘弁してよカレンダーくん」
僕は、とにかく学校に行かなければならないから、カレンダーにそうお願いをして出かけた。
今日もまた無事に一日が終わり、カレンダーをめくる時間がやってきた。
毎日の楽しみだったこの時間が、段々とゆううつなものに変わってきてしまったことがとても残念だ。
それも、めくったはずのカレンダーが元にもどってしまうという、人に相談しようものなら、僕の頭がおかしくなったと思われてしまうような理由で。
僕は今日もカレンダーをめくってねむりについた。
そして次の日の朝、カレンダーを見るとまた最初の日に戻っているのを発見したのだった。
次の日もその次の日も、朝になるとカレンダーは元の日付に戻っていた。
そのたびに僕はカレンダーをめくり続けたんだ。
僕は、こんなことがいつまで続くのだろうと思ったけれど、それに振り回される方が嫌で、とにかく今日の日付まで一気にカレンダーをめくったんだ。
確かにこれは困った状況だけど、僕だって一日中カレンダーのことばかり考えているわけじゃない。
平日は学校に行き、休日は友達と遊んだりどこかへ出かけたりするのだから。
僕は最初の頃こそなんとかやり過ごしていられたけれど、そんなことが一カ月も続くと、さすがにうんざりしてきたんだ。
今朝は30枚も一度にめくらなければならなかったし、この調子でいくと日に日にめくる枚数が増えることになるだろう。
そんなことを考えていた翌日の朝、僕はものすごい揺れを感じて目を覚ました。
てっきり地震だと思ってじっとしていた僕は、例のカレンダーがひどく揺れていることに気がついたんだ。
いや、正確にはカレンダーじゃなくてカレンダーが掛かっている柱が揺れているんだ。その柱は我が家の大黒柱だから、当然家全体が揺れている。
僕はベッドから飛び起きた。
恐ろしくてとにかく逃げ出そうとしたけれど、揺れが激しすぎてちゃんと歩くことができない。
大黒柱はますます激しく揺れながら、どうやら少しずつ上に移動しているようだ。
僕はベッドの柱にしがみつきながら、ただその様子を見守ることしかできない。
大黒柱の動きは激しさを増し、メリメリ、バキバキと音をたてながらどんどん上昇し、ついに完全に家から抜け出すと、その末端から炎を吹き出して空へと飛び立ったのだ。
家はバラバラに壊れ、僕は家の外に放り出された。
空を見上げると大黒柱はまるでロケットの様に宇宙を目指して飛んでいるのが見えた。
同じように外に放り出された父さんと母さんと一緒に空を見上げているとテレビのニュースが耳に飛び込んできた。
「人類が初めて月に着陸してから今日でちょうど100年目の記念日です!」
そうだ、僕はあることを思いだした。
さっき、揺れている家の中で見たカレンダーの日付は確かに今日だった。
誰かの麦わら帽子
ある日風に吹かれて麦わら帽子が飛んできた。
僕は思わずそれをつかんで、何も考えないでかぶったんだ。
すると、おかしなことが起こった。
僕は男なのに、急に女の子の様な気持ちになって、自分の格好が恥ずかしく思えてきたんだ。
僕は慌ててその帽子を脱ぎ捨てた。
すると、その帽子は風に吹かれてどこかへ飛んで行ってしまったんだ。
僕はもう一度その不思議な帽子をかぶってみたくて、外に出るたびに空を見上げていた。
そして、ある風の強い日、麦わら帽子がふわりふわりと飛んでいるのを見つけたんだ。
僕は待ちに待ったチャンスを逃すまいと、その帽子をつかんでかぶった。
すると、今度はサラリーマンのおじさんの気分になって、満員電車で押しくらまんじゅうになっている気持ちになったんだ。
せっかく念願の帽子を手に入れたわけだけれど、そんな窮屈な思いには耐えられなくて、僕は思わず帽子を取ったんだ。
すると強い風が吹いてきて帽子はまた飛んで行ってしまった。
それからしばらくの間、帽子は僕のところにはやってきてくれなかった。
だけど、きっと帽子はまた僕のところに飛んできてくれるようなそんな気がしていたんだ。
友達と別れたプールの帰り道、僕はいつもの様に空を見上げていた。
あまり空ばかり見ているせいで、僕は転んでばかりでひざ小僧をいつもすりむいている。
だけど、そんなことは別に構わない。
そうやって空を見上げていればいつかあの帽子をみつけられるかもしれないんだから。
そして今日またその帽子は運よく僕のところに飛んできたんだ。
僕は嬉しくて、ジャンプするとまだ飛んでいる帽子を勢いよくつかんだんだ。
久しぶりにかぶるその帽子は以前よりも少しくたびれていたけれど、僕はかまわずにかぶった。
すると、急におばあさんになったような気持ちになって、腰が曲がり、膝が別の意味で痛くなり、歩くのがすっかり遅くなって、耳もよく聞こえなくなって、おまけに歯がなんだかムズムズしてきたと思ったら、一本また一本と抜けてしまうイメージが湧いてきたんだ。
僕は恐ろしくなって、大急ぎで帽子を空に放り投げた。
すると、帽子はまた風に乗って何処かへ飛んで行ったんだ。
「ふぅーっ、今日の帽子はちょっと苦手だったな」
僕は独り言を言うと、そのまま家に帰った。
だけど、これであの帽子とお別れしたわけじゃない。
僕は次も帽子を見つけたら必ずつかまえてかぶってみるつもりだ。
今日のはちょっと刺激が強めだったけど、そんなことよりも不思議な体験を出来ることの方が僕にとっては大切なことだから。
そして、今日僕は再びあの帽子を見つけたんだ。
だけど、僕よりも早く、女の人が帽子を見つけてかぶってしまった。僕はしかたなく、その女の人の様子を見守っていた。
女の人は少しの間その帽子をかぶっていたけれど、すぐにブルブルと体を震わせたかと思うと帽子を脱いで空に放り投げたんだ。
僕はその帽子を追いかけた。
空高く飛んでしまった帽子を見逃さないよう必死で走った。
途中、何度も転んだけれど今はそんなことにかまってはいられない。
そしてようやく風が弱まって、僕の手の届くところまで帽子が落ちてきた。
僕は待ちきれなくて飛び上がるとその帽子をつかんでかぶったんだ。
すると、急に女の人の気持ちになって、お化粧をしていないこと、きれいな服を着ていないこと、髪をセットしていないこと、爪が汚いことがとても恥ずかしくなって、居てもたってもいられなくなった。
そこで僕はハッと気づいたんだ。
この帽子はかぶった人の記憶を保存しているんじゃないかって。
だから、さっきこの帽子をかぶった女の人の記憶が僕の中に伝わって来たんじゃないかって。
そんな風に思ったんだ。
だからといって、その帽子をかぶり続けることはやっぱりできなくて、僕が帽子を脱ぐと、また強い風が吹いてきて帽子は飛ばされてしまったんだ。
だけど、僕はもっと帽子のことを追いかけてみたくなった。
舞い上がった帽子を見逃さないようまた走り出した。
帽子はなかなか降りてこないまま、ずいぶん長い距離を飛んだ。
僕はどうにか見逃さずに追いかけることができていた。
そしてようやく風が弱まり、帽子がだんだんおりてきたんだ。
気づくと、周りの景色は見渡す限り田んぼや畑ばかりになっていた。
そして帽子は畑の手入れをしているおじいさんの頭に、ふわふわと舞い降りたんだ。
おじいさんはおどろいた様子で帽子を取ると「おお、やっと帰って来たか」と言った。
そして再び帽子をかぶると、何事もなかったように畑仕事を始めたんだ。
麦わら帽子の持ち主はおじいさんだったんだ。
もう二度とあの帽子をかぶることができないのが少しだけ残念だったけど、僕はやっとすっきりした気持ちになって家に帰ったんだ。
スイカがどんぶらこ
学校の帰り道、僕は川に大きなスイカが流れているのを見つけた。
「ねえ、スイカが流れてるよ」と僕が言うと、
「取りに行こう」と友達が言った。
だけど、その川は広くて深いから、僕も友達も結局眺めていることしかできなかった。
「あーあ、行っちゃった」
「食べたかったなー、スイカ」
「食べたかったねー、スイカ」
僕らは口々に言いながら、けれどもそのスイカのことはすぐに忘れてしまったんだ。
ところがそれから数日たったある日の帰り道、またその川にスイカが流れてきたんだ。
しかも、今度は一個なんかじゃなくて、ものすごい数なんだ。
「どうなってるのこれ?川がスイカでいっぱいだ」僕が言うと、「今度こそ取れるんじゃない」と友達は言った。
だけど、今日はこの間と違って、僕ら以外にもたくさんの人が川に集まっていた。
僕らが川に近づこうとすると「危ないからだめだ」と大人たちが言った。
それどころか、警察や市役所の人までやってきて大騒ぎになっている。
「どうしてスイカが流れてくるんですか?」僕らは近くにいた警察官のお兄さんに聞いてみたけれど、「それが分からないんだ。上流で何が起きているか調査しているから、君たちは早く家に帰りなさい」と言われてしまった。
僕らはもっとこの騒ぎを見ていたかったけれど、川の付近は立ち入り禁止のテープが張られてしまったので、仕方なく家に帰ることにした。
僕らはまだ知らなかったけれど、スイカが流れているのは川だけじゃなかった。
水が流れているところに次々とスイカが流れ始めているらしく、蛇口から小さなスイカが出てくるという、奇怪な現象が同時に起きていたんだ。
だから、家に帰った僕はまず慌てふためく母さんの姿を目にすることになった。
「もう、どうしようかしら」
母さんはお米を研いでいるけれど、そこに小さなスイカが次々と混ざってしまうのだ。
「うわあ、小さいスイカだ、可愛い」
僕は素直な気持ちを言っただけなのに、母さんは怒った顔で僕のことを見た。
「可愛い?この調子じゃ、夕ご飯はいつ出来上がるか分からないし、お風呂だって入れないかもしれないし、一番困るのがトイレよ!」
母さんはそう言って、ぷかぷか浮かんでいる小さなスイカをあみですくうと三角コーナーに捨てた。
「もったいない、これ僕もらっていい?」
「勝手にしなさい」
いつもは優しい母さんだけど、今日はすっかり怒りっぽくなっている。
僕はこれ以上イライラのとばっちりを受けたくなくて、小さなスイカをいくつか手に乗せると自分の部屋に戻った。
机の上に小さなスイカをのせてみた。
サイズは確かに小さいけれど、どうみても本物のスイカだ。
僕は静かに台所に入ると母さんがスイカをすくうのに躍起になって隙に果物ナイフを拝借した。
部屋に戻って小さなスイカに果物ナイフの先っちょを刺してみた。
すると、「痛っ!」という小さな声がした。
「え?」僕は首をかしげながら、今度はもっとやさしく刺してみた。
するとやっぱり「痛っ!」という声が小さなスイカから聞こえてきたのだ。
「ええーっ」僕は頭を抱えた。
そして、あらためて小さなスイカを指でつまんでみた。
すると、普通のスイカとは違ってなんだか柔らかい感触がすることに気づいた。
そうなんだ、そのスイカは果物じゃなくて、どうやら動物のようなんだ。
「わぁー」
僕は、その小さなスイカを持ったまま母さんのところへ飛んで行った。
「母さん、これ生きてるよ」
僕が言うと、母さんはさっきよりもっと怖い顔になって僕のことを睨んだ。
「もう、いい加減にしてちょうだい。母さんはこれをどうにかするだけで精一杯なんだから。ほら、じゃましないで!」
母さんは、どうにか米を研ぎ終えて、今度は料理作りに取り掛かっていた。
「ちぇっ」
僕は、こんな大発見を自分の中だけに収めておけなくて、外に飛び出した。
すると、隣の家の中学生のお兄さんが同時に飛び出してきたんだ。
お兄さんの手にも小さなスイカが乗っている。
「これ、生きてるよね!」
僕が思わず叫ぶと、お兄さんも同時に叫んだんだ。
垢虫くん
かゆいところをポリポリ掻くと垢が出る。
ポロポロとこぼれ出た垢はすぐに小さな虫へと変化する。
そして、トコトコ歩いて外へ行くと地面に自分たちの巣を作り始めるんだ。
僕は小さい頃、初めて垢虫が自分の腕を這っているのを見た時、とても怖くて思わず泣き出したんだ。
だけど、今は全然怖くない。
むしろ可愛いと思うくらいだ。
垢虫はありんこぐらいの大きさで、色は肌色だ。
垢から生まれた虫だけど、垢の様に黒くはない。
僕は時々垢虫の巣の所へ行って、垢虫が行進しているところに手を伸ばす。
すると、垢虫の何匹かが僕の腕に登ってくる。
僕は垢虫を腕に乗せたまま公園に行って、大きな木の枝を見つけると腕を伸ばす。
すると垢虫はその枝をどんどん登っていく。
僕はしばらくその様子を眺めている。
垢虫は木のてっぺんまで登るともとの場所まで下りてくる。
僕が手を伸ばすとまた僕の腕に乗って来るから、そのまま家に帰って垢虫の巣まで運んであげるんだ。これは、僕と垢虫の散歩だ。
学校の授業中、僕はほっぺたがかゆくなった。
ポリポリと掻くと垢虫が生まれた。
垢虫は僕の机から床、床から教室の壁、そして窓を伝って校舎の外壁を伝って校庭へと行進していく。
授業が終わると、僕は校庭の隅々まで垢虫の巣を探して回る。
今日はプール脇の空き地に巣を作っていた。
垢虫の巣は小さいから探すのは本当に大変だ。
だけど、僕から生まれた垢虫の巣だから何としても見つけたい。
今日探さないと明日にはもう見つからないかもしれない。
垢虫はよく引っ越しをするし、そんなに長く生きられないから、今日を逃すわけにはいかないんだ。
学校が休みの日、僕は友達と近所のお宮へ遊びに出掛けた。
友達が蚊に刺されて足を掻いていた。
だけど、そこから垢虫は生まれてこない。
そう、垢虫は僕だけから生まれる秘密の虫なんだ。
運のいいことに垢虫はすごく小さいから、これまで何度も僕の体から生まれているけれど、一度も誰かに見つかったことはない。
僕の足も蚊にさされた。少し掻くとすぐに垢虫が生まれた。
「ねえ、かくれんぼしようよ」
おかしなタイミングで友達が声をかけてきた。
「あ、ちょっと待って」
今動くと垢虫が落っこちてしまう。
生まれたばかりの垢虫はよちよち歩きだから、乱暴に扱うわけにはいかない。
垢虫のペースでゆっくりと歩かないと死んでしまうかもしれない。
だから、普段僕は垢虫が僕の体から移動するまではいつもじっとしているんだ。
「どうしたの?どこか痛いの」
友達は心配そうに僕のことを見た。
僕はあまりじっと見られたくなかったので、「先に行ってて、僕もすぐに行くから」と言って友達のことを追っ払った。
「うん、わかった」
友達は仲間が集まっている広場にかけていった。
僕はホッと一安心して、かわいい垢虫の行進を眺めていた。
垢虫がこの広い場所でどこに行くのかずっと見ていたかったけれど、また友達が呼びに来るといけないから、僕は遊んだあとここに戻ってきて垢虫の巣を探すことにした。
それはとても面倒なことのように思えるかもしれないけれど、僕にとってはとても楽しいことだ。
友達と別れて家に帰るふりをして、僕はまたお宮に向かった。
すると湿った空気が流れてきて辺りが急に暗くなってきた。
どうやら夕立が来るらしい。
僕は急いだ。
大雨が降ると垢虫の巣は流されてしまうかもしれないからだ。
すぐに大粒の雨が降り出し、道路はあっという間に川の様になってしまった。
僕は一刻も早くお宮にたどり着くため全力で走った。
僕が到着すると、お宮の地面はすでに水浸しであっちこっちに大きな水たまりができていた。
お宮は道路よりは水はけがいいから川の様にはなっていないけど、これでは垢虫の巣はひとたまりもないだろう。
それでも僕はあきらめないで、必死で垢虫のことを探した。
さっき蚊に刺された場所に戻って辺りを見て回った。
だけど、どこにも垢虫の姿はない。
こんな大雨の日に一人で外にいるのは初めてで、それだけでも心細かったのに、垢虫が見つからないものだから、僕の心はどんどん追い詰められていった。
だけど、僕はある大きな水たまりで何かが動いているのを偶然見つけたんだ。
それは、垢虫だった。
垢虫は水に溺れることなく、スイスイと華麗に泳いでいたのだ。
そうか、垢虫は泳げるのか!
僕は急に元気を取り戻した。
実は僕が思っているよりも垢虫は逞しいのかもしれない。
そして、僕はこれからも垢虫をずっと見守っていこうと思うのだった。
ピラミッドの国
僕の国にはピラミッドがいっぱいある。
あまりにたくさんありすぎて、他の国では大切にされているピラミッドが僕の国では邪魔もの扱いだ。
いくらなんでも邪魔ということはないだろうと思うかもしれないけれど、国の面積の95%がピラミッドだと言ったら、その深刻さは理解してもらえるだろうか。
そんなわけで、国民の職業第一位はピラミッド解体業だ。
つまり国民が総出でピラミッドを壊しているのだ。
大人は仕事としてピラミッドを壊すけれど、子供は遊びの一環としてピラミッド壊しをする。
僕は学校から帰るとすぐに「ちょっとピラミッド行ってくるから」と母さんに言って家を飛び出した。
手には古びたくわを持って。
このくわは僕のおじいちゃんのそのまたおじいちゃんが使っていたと父さんが言っていたけれど、本当のことはわからない。
とにかく古いことだけはたしかだ。
とんでもなく古いけど、このくわは軽くてとても使いやすい。
僕のすてきな相棒だ。
僕は昨日までほっていた場所につくと、さっそく続きを掘り始めた。
しばらく掘っていると友達がやってきた。
「やあ、調子はどうだい?」
「絶好調!」
僕はどんどん掘り進めた。掘るといっても、ピラミッドは石だから、とても固い。
だから、くわが石にぶつかるとすごい衝撃が僕の手に伝わってくる。
最初のころはうまくできなくて、すぐ手が痛くなっていたけれど、僕もだんだんコツを覚えたから、今ではすっかりうまくなった。
それでも、僕らが掘っているピラミッドは大人が掘っているものに比べたら随分柔らかいらしい。
柔らかいというか、すごく古いから石がボロボロになっているんだ。
だから、砂遊びとまではいかないけれど、僕らにとってはとても楽しい遊びなのだ。
「そろそろ運んでいかないと、もういっぱいだよ」
友達が一輪車を持ち上げた。掘ってくだいたピラミッドはトラックで粉砕工場に運ばれていく。
粉々になったピラミッドはレンガや埋め立て用の材料になる。
とにかく今は住める場所が少ないから、どんどん埋立地が作られている。
そして、そこにはレンガで作った家やビルが新しく建てられている。
昔は、そんな技術がなかったから、レンガを作って輸出することしかできなかったけれど、父さんが生まれた頃から少しずつだけど、この国の面積は広くなっているらしい。
それでも、まだまだピラミッドは圧倒的に多くて、僕が生きている間に全てのピラミッドがなくなることはないだろう。
いや、全てのピラミッドをなくしてしまうかどうかは、いつも大人たちの議論の的になっているようだ。
僕はまだ子供だから詳しいことは分からないけれど、いつも父さんたちはそんな話ばかりしている。
なにしろ、この国で目に入るものと言ったら、ピラミッドばかりなのだから仕方のないことだ。
もうずっと、遠足も旅行も散歩も、どこへ行こうとも見える景色はピラミッドなのだから。
でも、いざそれがなくなるとなると、やっぱり少しは残しておきたいと思うのは僕でも理解できる。
そして、どれを残すかということがとても難しい問題だということもよく分かるんだ。
僕らが今壊しているピラミッドの隣には、かなり大きくて立派なピラミッドがある。
そして今、大人たちがそれを壊している真っ最中だ。
だけど、僕はそれが壊される前の姿をはっきりと覚えている。
もちろん壊さなければならないことは分かっているけれど、それはとても立派で壊すのは畏れ多い感じがしたんだ。
友達が一輪車を空っぽにして帰って来たので、僕はまたピラミッドをを掘り進めたんだ。
日が暮れるまで僕らは夢中でピラミッドを掘った。
明日もここでと約束をして家に帰った。
次の日学校に行くと、みんながなにやらザワザワしていた。
「どうしたの?」
「ピラミッドが大変なんだよ!」
僕が話しかけると、友達は興奮気味にいった。
「どういう風に大変なんだよ」
「ピラミッドが消え始めてるんだって」
僕は意味が分からなかったけれど、そのあとすぐ始まった朝の会で先生が詳しく説明してくれた。
「え~、ニュースで見て知ってる子もいると思いますが、国の端っこの方から順にピラミッドが消えてしまうという現象が起きています。こんなことは歴史上初めてで、その原因は分かっていません。みなさん、今日はピラミッドに遊びに行かないようにしてください」
みんなはいったい何が起こったのか不安になって、中には泣き出す子もいた。
だけど、ピラミッドが消えるという謎の現象はそれから何年も続いた。
そして、あれから20年の月日が流れた。
「ねえ、パパ、これなあに?」
僕は娘と本を読んでいた。
「それはピラミッドだよ。昔、この国にはピラミッドがいっぱいあったんだよ」
「ええ、本当?私見たことない」
「そうだね、もうすっかりなくなってしまったからね」
そうなんだ、あの現象はたった一つのピラミッドを残してようやく終わりを迎えたのだった。
しかし、それはもはやピラミッドの形を成していなかった。
最後に残ったピラミッドは僕らがほっていたおんぼろピラミッドだったから。
アク取り王子
王子は突然やって来た。
それは母さんが夕ご飯のシチューを作っている最中だった。
どこからか王子が現れて、「ちょっと失礼」というと取り出したお玉で鍋の中のアクを華麗に取り去ったのだ。
僕と母さんは声も出せずにその様子を見守っていた。
「では、ごきげんよう」
王子はきれいにアクを取り終えると、あっという間に姿を消した。
「なに今の?」
僕が尋ねると、母さんはポーっとした顔で立ち尽くしていた。
「母さんってば」
僕は母さんの体を思い切りゆすってみた。
「あら、私何してたのかしら」
母さんは驚きのあまり一瞬記憶をなくしてしまったらしい。
「シチューを作ってたんだよ、大丈夫、母さん?」
「ええっと、シチュー?シチューってどうやって作るんだったかしら」
「ええーっ」
アク取り王子がアクを取ると、料理をしていた人はその作り方を忘れてしまうらしい。
母さんはシチューの作り方を調べたから何とか料理は完成した。
それからというもの、料理中にアクがでるたびに王子はやって来た。
アクなんてわざわざ取ってもらわなくても、母さんが取ればそれで十分なのに、王子がやってくるものだから我が家の夕食はしばしば時間通りに食べられなくなる。
僕はとても迷惑だと思っているのに、母さんときたら「今日はアク取り王子が来るかしら」なんて楽しみにしているから理解できない。
どうやら母さんは王子のルックスにやられているらしい。
今日の夕食は肉じゃがで、アクはたっぷり出るはずだから、母さんは王子が来るのを今か今かと待ち構えている。
「母さん、また遅くなっちゃうから、自分でアク取ってよー」
僕は当たり前のことを言っただけなのに、母さんの機嫌はすっかり悪くなってしまった。
「子供は余計なこと言ってないで宿題でもやってなさい」
普段はあまり小言を言わないのに、王子のこととなるとこのありさまだ。
僕はすごすごとリビングに移動すると、言われた通り宿題を始めた。
「きゃあ!」
台所から母さんの声がした。
きっと、アク取り王子がやってきたに違いない。
「母さん、大丈夫?」
僕は台所に駆け込んだ。
すると、僕と入れ違いに王子が飛び出して行った。
台所ではまたしても母さんがポーっとしたまま立っている。
僕は母さんのことをグラグラと揺らした。
「あ、あれ、どうしちゃたのかしら?」
「また王子が来たんだよ。母さんお願いだからアクを取って。僕、もうおなかペコペコだよ」
こんなことがこれからも続くとしたら、僕は耐えられない。
「だめよ、それじゃあ王子がやって来なくなっちゃう」
母さんは王子のとりこだから、ぜんぜん話が通じない。
結局夕食の時間はすっかり遅くなって、僕の寝る時間も遅くなって、今日は寝不足だ。
もし今日も母さんがアクを取らなかったら、僕は父さんに助けを求めるつもりだ。
父さんはいつも仕事で遅いから、うちの夕食がこんなことになっているのを知らない。
実は何度も父さん言おうと思ったけれど、母さんが王子にメロメロになっているのを言うのは何となく嫌だったんだ。
だけど僕の我慢ももう限界だ。
そんな決意を胸に家に帰った僕は仰天した。
うちの台所に、ラーメン屋さんによくある縦長の大きな鍋が鎮座しているのだ。
鍋からは大量の湯気が立ち上っている。
「母さん、どうしたのこれ?」
「いいでしょー、これであきれるくらい長い時間王子がうちにいることになるのよ」
僕は目の前が真っ暗になった。
母さんがそういうやいなや、王子がやって来た。
「キャー、王子!すてき!」
母さんはもう王子しか見ていない。
「おお、これは大変だ。どれだけ取っても次から次へとアクが出てきますね!」
王子もやる気満々だ。
僕は、あきらめてリビングに移動するとテレビをつけて、父さんを待つことにした。
だけど、父さんが帰って来るのはうんと遅い。
それまで腹ペコなのは耐えられないから、僕は台所から持ってきた菓子パンをかじった。
台所からは、母さんの声援がひっきりなしに聞こえてくる。
父さん早く帰って来て!僕は必死で祈った。
すると、奇跡が起こった。
「ただいまー」
父さんが帰って来たのだ。
「父さん!今日は早いんだね」
「ああ、やっと大きなプロジェクトが片付いたから。たまには家族サービスしないとな」
何も知らない父さんが台所に入っていった。
「な、なんだ、お前は!」
ついに父さんと王子がご対面。
僕はどうなることかと聞き耳を立てた。
「おっと、これはご主人。申し遅れました私は・・・」
「この変態め!」
父さんはお玉を奪い取った。
「な、なにするんです!」
「それはこっちのセリフだ。こんなもの、こうしてやる!」
父さんは大鍋にお玉を突っ込むと豪快にかき混ぜた。
「ああ!それじゃあアクが混ざってしまう」
王子はまるで自分自身が痛めつけられているようにヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。
「王子、王子、大丈夫ですか」
「何が王子だ、そんなちんどん屋みたいなやつ」
「ひ、ひどいわあなた、王子に向かってそんな口の利き方」
母さん、王子の味方なんてまずいよ。
僕はどうなることかとヒヤヒヤして、居ても立っても居られない。
「ええい、これでどうだ!」
父さんは大鍋を持ち上げると、その中身をすっかり流しにぶちまけてしまった。
「ああ~」
王子は情けない声を出すと、ヨロヨロ立ち上がり姿を消してしまった。
「ああ!王子!王子ー!!」
母さんの声が台所に虚しく響いた。
その日から、王子はもう現れなくなった。
そして、父さんは以前よりも早く家に帰ってくるようになった。
僕は、王子が嫌いだったけど、今では少しだけ感謝してるんだ。