おはなしの森

短編・ショートショート・童話など、大人から子供向けまで、気ままに綴りたいと思います。

僕のお腹のふくらみは

僕は中肉中背、ごく普通の体型だ。

つい先日受けた人間ドックでも何も異常はなく、きわめて健康だ。

しかし、実は今週に入ってから腹部に違和感を感じている。

ただ、実際にお腹を見ても何の変化も見られないから、勘違いの可能性は高い。

そう自分に言い聞かせて一カ月が過ぎた。

以前は目立たなかったお腹の出っ張りが、今ではもう誤魔化せない程になっていた。

「おい山本、どうしたんだよその腹は?」

同期の岩田がニヤニヤしながら話しかけて来た。

「なんのことだよ」

僕はあくまで白を切る。

「ごまかせると思ってるのか?お前もいよいよ中年の仲間入りだな」

かく言う岩田の腹は数年前からせり出しっぱなしで、検査には毎年引っ掛かっている常連だ。

「お前と一緒にするなよ。これは、その、一時的なもんだ」

「強がらなくていい。こっちは楽だぞー」

岩田はそう言って自分の腹を撫でた。

「仕事の邪魔だ、あっちへ行け」

僕は岩田をシッシッと手で追い払った。

しかし、僕のお腹の変化に注目しているのは岩田だけではない。

会う人会う人誰もがまず僕の顔よりも腹の方に視線をやるのが分かる。

これまでの僕の人生でこんな体験は初めてで、本当ならこのふくらみをすぐさま引っ込めてしまいたいところだ。

だが、正直なところ、これをどうやれば引っ込めることができるのか、その方法が分からない。

そして、なにより問題なのが、なぜ僕のお腹がふくらんでいるのか、その理由だ。

この考えに根拠は全くないし、もちろん調べたわけでもない。

だけど、なぜかわからないけれど、僕はこのふくらみが、女性で言うところの妊娠、つまり赤ちゃんを授かったように感じられてしかたがないのだ。

ただ、今のところ、それを調べるために病院を訪れる勇気はない。

そんな風に全てを先送りにしているうちに、僕のお腹はどんどんそのふくらみを増してきた。

あれから三カ月がたった今では、もう誰も僕のお腹について触れようとしない。

人はみな、その兆しが見られる程度の時にざわめくもので、それがもはや当たり前になったり、もしくは過度に目立ちすぎている場合、あえて話題にすることはなくなるようだ。

これは僕にとって好都合だった。

なにしろ、自分自身がこの問題について究極の選択を迫られているという時に、他人からとやかく言われるのはとんでもなく僕の気力と体力を奪うからだ。

究極の選択というからには、その問題点がはっきりしているということになる。

つまり、最初の頃には発現していなかった現象が最近になって明らかになったということだ。それは、はっきり言えば胎動だ。

僕だって最初はまさかと思ったし、今だってまだ信じられない。

だけどお腹に手をやればトクントクンと規則正しく刻まれる鼓動が確かに伝わってくるのだ。

その事実はどうにも否定しようがない。

だが、そんな事態に追い込まれた今もまだ病院を受診するということは出来ていない。

いや、正確に言うならしたくてもできないという方が正しい。

僕がもし仮に女性で、そして然るべき手順を踏んで妊娠したなら、必ず医師による診察を受けて、安全な出産を迎えるべく準備を整えるだろう。

だが、今の自分の状況は、何から何まで規格外で、病院というシステムには適合しないことは明確だ。

それでも僕の気持ちは決まっている。このお腹の子を無事に産んでみせると。

そんな強い決意はあるものの、僕が一番分からないのは男の体をした僕のどこから赤ちゃんが出てくるのかということだ。

妊娠出産関連の情報をいくらかき集めても、当たり前だけどそれは全て女性に関するものだ。

だから、男の体のどこに赤ちゃんがいるのか、そしてどこを通ってどこから出てくるのかなんて全く分からないのだ。

「山本、俺はお前のことを友達だと思うから言うんだぞ」と言って、岩田が久しぶりに話しかけて来た。

「何の話だよ」岩田の言いたいことはもちろんわかっている。僕のお腹のことだ。

「いい病院紹介してやるから」珍しく優しい岩田に「お前が言っても説得力ないな」と僕は笑って突き放した。

「バカ、冗談じゃないぜ?お前のこと心配して言ってるんだ」岩田はいつになく真剣だ。

「ほっといてくれよ、俺は大丈夫だ」そう答えると、「ちょっと来いよ」と言って岩田は僕の腕をつかんで人気のない場所に連れ出した。

「お前、妊娠してるんだろう?」

「えっ!」僕は岩田の言葉に耳を疑った。

「大丈夫だ、誰にも言わないから」

「な、何をバカな事言ってるんだ」僕は動揺を悟られないように必死になった。

「いいか、信じられないかもしれないけど、俺の言うことをよく聞けよ」

「あ、ああ・・・」いつになく真剣な岩田に作り笑いをしていた顔を引き締めた。

「俺のお腹にも赤ん坊がいる」

「ええっ!!」

「しーっ!」岩田は僕の口をギュッとふさいだ。

「ここはそういうのを専門にしている病院だ」岩田はさっき僕が受け取らなかった名刺をもう一度差し出した。

「だがな、そこに行ったからと言って全てが解決するわけじゃない」

「どういうことだ?」

「つまり、俺たちはここに運命共同体を宿している、そして・・・」

「そして?」僕は次の言葉を待った。

「俺たちは死ぬまでこいつと離れることはないんだ」岩田はそう言って自分のお腹をとても愛おしそうに撫でたんだ。