おはなしの森

短編・ショートショート・童話など、大人から子供向けまで、気ままに綴りたいと思います。

あこがれのムキムキ

僕はムキムキの体に憧れている。なぜなら、僕はガリガリだからだ。

いくら食べても太らない。

母さんは、羨ましいって言うけれど、僕はちっとも嬉しくない。

今はマッチョが流行っているから、テレビなんかではよくムキムキの人を目にするけれど、まだ僕は実際にムキムキの人に会ったことがない。

どこに行けば会えるのかも分からないから、僕は自己流で筋トレをしている。

「お、たくやは今日も張り切ってるな」

僕と同じくガリガリの父さんが言った。

「うん、だけどぜんぜんムキムキにならないんだ」

「そりゃそうだ。まだ子供だからな」

たしかに僕はまだ小学生5年生だ。

「子供はムキムキにならないの?」

僕はムキムキになれると信じているから、毎日がんばって筋トレをしているけど、もし絶対にムキムキにならないのなら、あきらめるしかない。

「いやぁ、そりゃ絶対ならないかって言われたら、父さんも専門家じゃないから分からないけどな」

「そんなぁ」

いい加減なひとことで惑わしておいて、やっぱり分からないなんてひどすぎる。

「だけど、まあ普通に考えたら、鍛えたら鍛えた分は筋肉になるんじゃないか?」

そう言うと父さんは行ってしまった。

「もう!」

僕はすっかりやる気をそがれてムカッとしたけど、父さんはムキムキに興味がないんだから仕方ない。

僕が鍛えたいのはやっぱり上半身だ。もちろんバランスのこともあるから、下半身も適度には鍛えるけど、胸や背中、特に腕のムキムキにたまらなく憧れる。

腕を曲げた時の力こぶは、今の自分の筋力の象徴のような気がして、とても励まされるのだ。

普段はそんな僕のささやかなムキムキを誰かに披露する機会はほとんどない。

だけど、なんと今日はプール開きだ。

去年の年末からコツコツと鍛えてきた僕のムキムキが日の目を見る時がやってきたのだ。

もちろん最初から誰かに見せようと思っていたわけじゃない。

だけど、一ヶ月たち、二ヶ月たち、半年以上が経った今、どんなに些細なものだとしても以前の僕からすれば、確実にムキムキは育っている。

そして、そんな僕のムキムキを自然な形でみんなに見てもらえるのは、どうしたって嬉しいものだ。

僕は体育の時間を前に、密かに緊張していた。

「今日からプールが始まりますが、私は今妊娠中ですから、体育は副担任の岡村先生にお願いすることになりました」

担任の岩田先生が言った。

岡村先生は若い男の先生で、僕らにとってはお兄さんみたいな存在だ。

「わーい」

当然だがみんなは喜んだ。

担任の岩田先生はどちらかと言えば太っちょで運動はあまり得意じゃない。

それに比べると、岡村先生はサッカーが得意で走るのも早いから、泳ぐのも得意かもしれない。

「じゃあみんな、準備体操の位置に開いて!」

岩田先生が掛け声をかけたので、僕らは隣との距離を広げた。

そこに、水着に着替えた岡村先生が現れた。

その姿を見た僕は思わず「あっ!」と声を上げてしまった。

なぜなら、岡村先生の体がムキムキだったからだ。

しかも、そのムキムキ具合が僕の好みにぴったりの上半身ムキムキ、下半身そこそこだったから、たまらない。

僕の頭からは自分のささやかな筋肉を披露することなどすっかり吹き飛んだ。

「いちに、さんし」

掛け声に合わせて動く岡村先生の筋肉に僕の目は釘付けだ。

僕はなぜこれまで岡村先生のムキムキに気がつかなかったのか、頭の中で必死に記憶を辿っていた。

先生は普段スーツを着ているし、暑くなってもカッターシャツの袖をくるくると折り曲げていたから、肝心の力こぶを見る機会はなかったんだ。

ようやく納得した僕は、改めて岡村先生のムキムキに熱い視線を送った。

「はい、では順番に泳いでいきましょう」

岩田先生の指示に従ってみんなはプールに飛び込んだ。

一年ぶりに入るプールにみんなは大はしゃぎだ。

ただ、今の僕にとってプールはもう余計なものでしかなかった。

なぜなら、水の中に入ったら岡村先生のムキムキが見えなくなってしまうからだ。

だからと言って、ボーっと突っ立っているわけにもいかず、僕は順番になるとしぶしぶプールに入った。

ゴーグルをつけるともう岡村先生の姿は全く見えない。

何回か泳いだ後は自由に泳いでいいということになった。

「岡村先生、一緒に泳ごう!」

僕はやっと近くでムキムキを見れるチャンスを逃すまいと、急いで先生のところに駆け寄った。 

しかし、岡村先生は人気者だから他の生徒たちも集まっていて、僕が独り占めすることはできない。

それでも、さっきよりはずいぶんましだ。

手を伸ばせば先生のムキムキに触れることだってできる。

僕はどさくさに紛れて先生のムキムキに触ろうとしたけれどだめだった。

なぜなら岡村先生はやっぱり泳ぎも得意だったから。

岡村先生はみんなをかわすとスイスイと気持ちよさそうに泳ぎ始めた。

先生に触れるには僕も泳ぐしかない。

正直、僕はそんなに泳ぎが得意じゃない。

だけど、今の僕は必死だった。

なにしろ、今日を逃すと次の水泳は来週になってしまう。

つまり、来週まで先生のムキムキはお預けになってしまうというわけだ。

僕は必死になって泳いだ。

やっとのことで端壁にたどりつくと、岡村先生はもうすでに水から上がって25mプールの中ほどを歩いていた。

僕は大急ぎで、しかし決して走らないように気を付けて先生の後を追った。

うっかり走っては岩田先生に大目玉をくらってしまうから。

「岡村先生!」

僕が声を張り上げると、岡村先生はびっくりして立ち止まった。

「どうかしたのか、高木」

僕の声が不自然なくらい大きかったせいで、岡村先生はなにかあったのかと思ったみたいだ。

「いいえ、なにも。あ、でも、先生に聞きたいことがあるんです」

「ん?どんなことだ」

「どうやったら先生みたいになれますか?」

僕はいざとなるとムキムキのことを何と言えばいいのか分からなくなった。

「あ、ああ、これのことか?」

そう言うと、岡村先生は僕に向かってカッコいいポーズをとってくれた。

「そ、そうです、それです!!」僕が目を輝かせると、岡村先生は「あとで僕のところに来なさい」と言った。

放課後、僕はドキドキしながら職員室に行くと、「こっちだ」と言われ、なぜか校舎の裏にある駐車場に連れていかれた。

「これだよ」

岡村先生は車のトランクを開けると大きなうちわを取り出した。

「え、なんですか?」

僕は先生の言っている意味が分からなくて、間抜けな声で答えた。

「だから、これをこうするんだよ」

そう言って岡村先生は、うちわを両手に持つと大きく上下に振り下ろした。

「えっと」

それでも僕は先生が何を言おうとしているのか分からない。

「僕みたいになりたいんだろ?」

「はい!ええっ?」

それはつまり、岡村先生のムキムキはこの大きなうちわのおかげということだ。

最初は面喰った僕だけど、岡村先生の発明したトレーニングはとても効果的だ。

僕の細い腕には着実に筋肉がついている。

だから、今日も僕は岡村先生のようなムキムキになるべく、トレーニングに励むのだった。