アク取り王子
王子は突然やって来た。
それは母さんが夕ご飯のシチューを作っている最中だった。
どこからか王子が現れて、「ちょっと失礼」というと取り出したお玉で鍋の中のアクを華麗に取り去ったのだ。
僕と母さんは声も出せずにその様子を見守っていた。
「では、ごきげんよう」
王子はきれいにアクを取り終えると、あっという間に姿を消した。
「なに今の?」
僕が尋ねると、母さんはポーっとした顔で立ち尽くしていた。
「母さんってば」
僕は母さんの体を思い切りゆすってみた。
「あら、私何してたのかしら」
母さんは驚きのあまり一瞬記憶をなくしてしまったらしい。
「シチューを作ってたんだよ、大丈夫、母さん?」
「ええっと、シチュー?シチューってどうやって作るんだったかしら」
「ええーっ」
アク取り王子がアクを取ると、料理をしていた人はその作り方を忘れてしまうらしい。
母さんはシチューの作り方を調べたから何とか料理は完成した。
それからというもの、料理中にアクがでるたびに王子はやって来た。
アクなんてわざわざ取ってもらわなくても、母さんが取ればそれで十分なのに、王子がやってくるものだから我が家の夕食はしばしば時間通りに食べられなくなる。
僕はとても迷惑だと思っているのに、母さんときたら「今日はアク取り王子が来るかしら」なんて楽しみにしているから理解できない。
どうやら母さんは王子のルックスにやられているらしい。
今日の夕食は肉じゃがで、アクはたっぷり出るはずだから、母さんは王子が来るのを今か今かと待ち構えている。
「母さん、また遅くなっちゃうから、自分でアク取ってよー」
僕は当たり前のことを言っただけなのに、母さんの機嫌はすっかり悪くなってしまった。
「子供は余計なこと言ってないで宿題でもやってなさい」
普段はあまり小言を言わないのに、王子のこととなるとこのありさまだ。
僕はすごすごとリビングに移動すると、言われた通り宿題を始めた。
「きゃあ!」
台所から母さんの声がした。
きっと、アク取り王子がやってきたに違いない。
「母さん、大丈夫?」
僕は台所に駆け込んだ。
すると、僕と入れ違いに王子が飛び出して行った。
台所ではまたしても母さんがポーっとしたまま立っている。
僕は母さんのことをグラグラと揺らした。
「あ、あれ、どうしちゃたのかしら?」
「また王子が来たんだよ。母さんお願いだからアクを取って。僕、もうおなかペコペコだよ」
こんなことがこれからも続くとしたら、僕は耐えられない。
「だめよ、それじゃあ王子がやって来なくなっちゃう」
母さんは王子のとりこだから、ぜんぜん話が通じない。
結局夕食の時間はすっかり遅くなって、僕の寝る時間も遅くなって、今日は寝不足だ。
もし今日も母さんがアクを取らなかったら、僕は父さんに助けを求めるつもりだ。
父さんはいつも仕事で遅いから、うちの夕食がこんなことになっているのを知らない。
実は何度も父さん言おうと思ったけれど、母さんが王子にメロメロになっているのを言うのは何となく嫌だったんだ。
だけど僕の我慢ももう限界だ。
そんな決意を胸に家に帰った僕は仰天した。
うちの台所に、ラーメン屋さんによくある縦長の大きな鍋が鎮座しているのだ。
鍋からは大量の湯気が立ち上っている。
「母さん、どうしたのこれ?」
「いいでしょー、これであきれるくらい長い時間王子がうちにいることになるのよ」
僕は目の前が真っ暗になった。
母さんがそういうやいなや、王子がやって来た。
「キャー、王子!すてき!」
母さんはもう王子しか見ていない。
「おお、これは大変だ。どれだけ取っても次から次へとアクが出てきますね!」
王子もやる気満々だ。
僕は、あきらめてリビングに移動するとテレビをつけて、父さんを待つことにした。
だけど、父さんが帰って来るのはうんと遅い。
それまで腹ペコなのは耐えられないから、僕は台所から持ってきた菓子パンをかじった。
台所からは、母さんの声援がひっきりなしに聞こえてくる。
父さん早く帰って来て!僕は必死で祈った。
すると、奇跡が起こった。
「ただいまー」
父さんが帰って来たのだ。
「父さん!今日は早いんだね」
「ああ、やっと大きなプロジェクトが片付いたから。たまには家族サービスしないとな」
何も知らない父さんが台所に入っていった。
「な、なんだ、お前は!」
ついに父さんと王子がご対面。
僕はどうなることかと聞き耳を立てた。
「おっと、これはご主人。申し遅れました私は・・・」
「この変態め!」
父さんはお玉を奪い取った。
「な、なにするんです!」
「それはこっちのセリフだ。こんなもの、こうしてやる!」
父さんは大鍋にお玉を突っ込むと豪快にかき混ぜた。
「ああ!それじゃあアクが混ざってしまう」
王子はまるで自分自身が痛めつけられているようにヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。
「王子、王子、大丈夫ですか」
「何が王子だ、そんなちんどん屋みたいなやつ」
「ひ、ひどいわあなた、王子に向かってそんな口の利き方」
母さん、王子の味方なんてまずいよ。
僕はどうなることかとヒヤヒヤして、居ても立っても居られない。
「ええい、これでどうだ!」
父さんは大鍋を持ち上げると、その中身をすっかり流しにぶちまけてしまった。
「ああ~」
王子は情けない声を出すと、ヨロヨロ立ち上がり姿を消してしまった。
「ああ!王子!王子ー!!」
母さんの声が台所に虚しく響いた。
その日から、王子はもう現れなくなった。
そして、父さんは以前よりも早く家に帰ってくるようになった。
僕は、王子が嫌いだったけど、今では少しだけ感謝してるんだ。