誰かの麦わら帽子
ある日風に吹かれて麦わら帽子が飛んできた。
僕は思わずそれをつかんで、何も考えないでかぶったんだ。
すると、おかしなことが起こった。
僕は男なのに、急に女の子の様な気持ちになって、自分の格好が恥ずかしく思えてきたんだ。
僕は慌ててその帽子を脱ぎ捨てた。
すると、その帽子は風に吹かれてどこかへ飛んで行ってしまったんだ。
僕はもう一度その不思議な帽子をかぶってみたくて、外に出るたびに空を見上げていた。
そして、ある風の強い日、麦わら帽子がふわりふわりと飛んでいるのを見つけたんだ。
僕は待ちに待ったチャンスを逃すまいと、その帽子をつかんでかぶった。
すると、今度はサラリーマンのおじさんの気分になって、満員電車で押しくらまんじゅうになっている気持ちになったんだ。
せっかく念願の帽子を手に入れたわけだけれど、そんな窮屈な思いには耐えられなくて、僕は思わず帽子を取ったんだ。
すると強い風が吹いてきて帽子はまた飛んで行ってしまった。
それからしばらくの間、帽子は僕のところにはやってきてくれなかった。
だけど、きっと帽子はまた僕のところに飛んできてくれるようなそんな気がしていたんだ。
友達と別れたプールの帰り道、僕はいつもの様に空を見上げていた。
あまり空ばかり見ているせいで、僕は転んでばかりでひざ小僧をいつもすりむいている。
だけど、そんなことは別に構わない。
そうやって空を見上げていればいつかあの帽子をみつけられるかもしれないんだから。
そして今日またその帽子は運よく僕のところに飛んできたんだ。
僕は嬉しくて、ジャンプするとまだ飛んでいる帽子を勢いよくつかんだんだ。
久しぶりにかぶるその帽子は以前よりも少しくたびれていたけれど、僕はかまわずにかぶった。
すると、急におばあさんになったような気持ちになって、腰が曲がり、膝が別の意味で痛くなり、歩くのがすっかり遅くなって、耳もよく聞こえなくなって、おまけに歯がなんだかムズムズしてきたと思ったら、一本また一本と抜けてしまうイメージが湧いてきたんだ。
僕は恐ろしくなって、大急ぎで帽子を空に放り投げた。
すると、帽子はまた風に乗って何処かへ飛んで行ったんだ。
「ふぅーっ、今日の帽子はちょっと苦手だったな」
僕は独り言を言うと、そのまま家に帰った。
だけど、これであの帽子とお別れしたわけじゃない。
僕は次も帽子を見つけたら必ずつかまえてかぶってみるつもりだ。
今日のはちょっと刺激が強めだったけど、そんなことよりも不思議な体験を出来ることの方が僕にとっては大切なことだから。
そして、今日僕は再びあの帽子を見つけたんだ。
だけど、僕よりも早く、女の人が帽子を見つけてかぶってしまった。僕はしかたなく、その女の人の様子を見守っていた。
女の人は少しの間その帽子をかぶっていたけれど、すぐにブルブルと体を震わせたかと思うと帽子を脱いで空に放り投げたんだ。
僕はその帽子を追いかけた。
空高く飛んでしまった帽子を見逃さないよう必死で走った。
途中、何度も転んだけれど今はそんなことにかまってはいられない。
そしてようやく風が弱まって、僕の手の届くところまで帽子が落ちてきた。
僕は待ちきれなくて飛び上がるとその帽子をつかんでかぶったんだ。
すると、急に女の人の気持ちになって、お化粧をしていないこと、きれいな服を着ていないこと、髪をセットしていないこと、爪が汚いことがとても恥ずかしくなって、居てもたってもいられなくなった。
そこで僕はハッと気づいたんだ。
この帽子はかぶった人の記憶を保存しているんじゃないかって。
だから、さっきこの帽子をかぶった女の人の記憶が僕の中に伝わって来たんじゃないかって。
そんな風に思ったんだ。
だからといって、その帽子をかぶり続けることはやっぱりできなくて、僕が帽子を脱ぐと、また強い風が吹いてきて帽子は飛ばされてしまったんだ。
だけど、僕はもっと帽子のことを追いかけてみたくなった。
舞い上がった帽子を見逃さないようまた走り出した。
帽子はなかなか降りてこないまま、ずいぶん長い距離を飛んだ。
僕はどうにか見逃さずに追いかけることができていた。
そしてようやく風が弱まり、帽子がだんだんおりてきたんだ。
気づくと、周りの景色は見渡す限り田んぼや畑ばかりになっていた。
そして帽子は畑の手入れをしているおじいさんの頭に、ふわふわと舞い降りたんだ。
おじいさんはおどろいた様子で帽子を取ると「おお、やっと帰って来たか」と言った。
そして再び帽子をかぶると、何事もなかったように畑仕事を始めたんだ。
麦わら帽子の持ち主はおじいさんだったんだ。
もう二度とあの帽子をかぶることができないのが少しだけ残念だったけど、僕はやっとすっきりした気持ちになって家に帰ったんだ。