犬、犬、犬
世間は空前のペットブーム。
母さんは大の犬好きで、我が家も二匹の犬がいる。
だけど、僕は犬が苦手だ。
母さんの愛情の半分以上が犬に注がれていることは確実だ。
だって、僕らの夕食よりも犬のペットフードの方が高級な時があるし、母さんの話すことと言ったら、ほとんどが犬のことばかりだからだ。
「困ったわ~」
朝から母さんがブツブツ言っている。
こんなときは要注意だ。
僕には双子の妹がいるけれど、まだ小さくて手がかかる。
特に朝は大騒ぎだ。
今日は日曜日だからボーっとしているのはとても危険だ。
僕は朝ご飯をたいらげると母さんに捕まらないよう、すぐに自分の部屋へ行こうとした。
「あ、ヒロ君、犬の散歩行ってくれない?さっきからずっとソワソワしててかわいそうなのよ」
ああ、しまった、遅かった。
こうなったらもう何を言っても無駄なのだ。
僕がどんな理由を言おうと全て却下されて、結果はいつも決まっている。
僕が二匹を連れて、いや二匹に連れられて散歩に行く羽目になるんだ。
どうしてそうなるかと言えば、二匹の犬は僕の手に負えない程の馬力を持っているからだ。
犬だから馬力というのはおかしいかもしれないけれど、とにかくすごい力なのだ。
なぜなら、一匹はシベリアンハスキーで、もう一匹はラブラドルレトリバーの成犬だからだ。
母さんがチワワやトイプードルみたいに小さな犬が好きだったなら、僕もまだ救われたかもしれない。
だけど、この大型犬たちときたらデカいにもほどがある。
シベリアンハスキーは賢いけど長距離を平気で走るスタミナがあるから、ちょっとやそっとじゃ満足しない。
ラブラドールは本当は賢いはずなんだけど、母さんが教育に失敗したせいか甘えん坊でちっとも言うことを聞かないからとても扱いづらい。
そんな二匹を小学生の僕が散歩に連れて行くなんてどう考えても無理に決まってるのに、母さんはとにかく犬が何かを訴えているのを見て見ぬふりをすることが耐えられないらしいのだ。
母さんが僕よりも犬のことを優先することも悲しいし、これから犬に引きずられて約一時間の散歩をしなければならないことを考えるだけでも泣きそうだ。
だけど、犬たちは狭い庭をソワソワと行ったり来たりして、時々キューンと鳴き声を出し始めているから、いよいよ散歩に連れ出さなければならないことは確実だ。
「ヒロ君、おねがーい!」
ついに最後通告だ。
「は~い」
僕は地獄を覚悟して犬たちを連れ出した。
「待て、待て、もっとゆっくり!」
僕がいくら言っても聞くはずがないことは分かってるけど、言わずにはいられない。
シベリアンハスキーはどんどん自分のペースで走って行ってしまうし、ラブラドールは道端の草花に飛びつくから、僕の両手は左右に目一杯引っ張られる。
「痛い!痛いよ!こら、もう、ダメだったら!」
僕は早くもリタイアしそう。だけど、走り出した二匹は大はしゃぎで散歩を満喫している。
僕の腕の痛みも、泣きたい気持ちもお構いなしだ。
「誰か、助けてー」
僕は二匹に引きずられて、何度も転びながらもどうにか散歩を終えて家に着いた。
「母さん、帰ったよ」
「ありがと、じゃあ足を拭いて餌をあげておいてね」
僕はよほどすごいご褒美か特別なおこずかいをもらわなきゃ、こんなことはやっていら
れないと思っているのに、母さんときたら全然わかっちゃいない。
「もういやだよ、僕遊びに行きたい」
「何言ってるの、散歩の後はお腹すいてるんだから遊んでる場合じゃないでしょ」
やっぱり母さんは僕よりも犬の方が大事なんだ。
僕は転んであちこち痛いのも我慢しているというのに、ひどいよ母さん。
「わかったよ」
だけど、僕は母さんには逆らえない。
へたに口答えして、死ぬほど長い小言を聞くくらいなら、さっさと言われたことをやった方が早い。僕も数えきれない失敗から色々と学んだのだ。
僕が皿にペットフードを出してやると、二匹はしっぽを振りながら飛びついた。
こうやって無邪気な姿を見ているだけなら僕だってきっと犬のことが好きなままだっただろう。
だけど、もう後戻りはできない。
僕はこのままではいけないと思った。
そして心を入れ替えることに決めたのだ。
学校がある日はさすがの母さんも僕に散歩を頼んだりはしない。
だから、僕は体を鍛えることにした。
朝早く起きてランニングをするのだ。
そうすれば、二匹のスピードに負けることなく走れるようになるはずだ。
もう転ばなくても済むなら問題はほとんど解決したと言ってもいいだろう。
月曜の朝、僕ははりきって朝5時に起きるとジャージに着替えた。
だけど、玄関に行こうとしたらちょうど起きてきた母さんに見つかってしまった。
「どうしたのこんなに早く」
母さんはまだ眠そうだ。
「別に、なんでもないよ」
別に悪いことをするわけじゃないけれど、なんとなく母さんには内緒にしておきたかった。
「なんでもないことないでしょ。いつも7時に起きるのに」
母さんは何かを察知したのか、僕を完全にロックオンした。
このままではランニングに行けない。
僕は仕方なく「ランニングにいくんだよ」と打ち明けた。
「まあ、ほんと?ちょうどよかった。じゃあついでに散歩してきてちょうだい」
母さんはパァッと目を輝かせた。
「い、い、いやだあー!!」
僕は家を飛び出した。
すると、母さんが犬を連れて僕のことを追いかけて来た。
母さんは犬に負けない素晴らしい走りで僕を追い抜くと、あっという間にはるか彼方へ行ってしまったんだ。