おはなしの森

短編・ショートショート・童話など、大人から子供向けまで、気ままに綴りたいと思います。

うっかり素麺

今日から待ちに待った夏休みだ。

だけど、僕にはゆううつなことが一つだけある。

それは、素麺だ。

僕には双子の妹がいるけれど、妹たちはまだ小さいから、夏休みになると母さんはあまりの忙しさに、いろんなことが面倒になるらしい。

母さんは、あまり料理が得意じゃないけど、普段は妹たちが幼稚園に行っているから、少し余裕ができるみたいで、メニューもそれなりに工夫してくれている。

だけど、幼稚園が休みになると、そうはいかない。

冬休みは、お正月があるから、母さんも気合が入るらしく、手抜きだなぁと思うことはほとんどない。

春休みは短いから、母さんが面倒だと気づく前に終わってしまうから問題ない。

だけど、夏休みはそういうわけにいかない。

とにかく長いうえに、暑いから、母さんのぷっつんメーターはすぐに振り切れてしまうのだ。

メーターが振り切れると、母さんの思考は停止して、そのしわ寄せはおのずと苦手な料理にやってくるのだ。

「あーっ、今日は特別に暑いわねぇ」

母さんは朝からイライラしている。

こんな日は要注意だ。僕は朝の子供番組を見ていても気が気じゃない。

「今日のお昼はどうしようかしら」

ほら、ついに来た!僕は、こんな時のために、新聞の切り抜きを用意していたのだ。

「母さん、これなんかどうかな」

僕は、簡単ランチレシピと書いてある切り抜きを母さんの前に差し出した。

「あら、どうしたのこれ?」

母さんは、首にかけたタオルで汗をぬぐった。

「この間見つけて、おいしそうだなlと思ったから」

「ふぅーん、でも、ちょっと作るの大変そうだから、また今度ね」

そう言うと、母さんは洗濯を干しに外へ行ってしまった。

「ええっー」

僕は、絶望的な気持ちになった。

この調子では、夏休み初日から素麺になってしまう。

僕も最初から素麺が嫌いだったわけじゃない。

だけど、夏休みになると、素麺の出番がやたらと増えるのだ。

一週間ずっとお昼が素麺っていうだけでも僕はうんざりなのに、たまに晩ごはんまで素麺の日があったりして、僕はもう生きた心地がしなかった。

だから、僕は去年の夏休みが終わってからというもの、新聞のレシピのコーナーをいつもチェックして、うっかり素麺になってしまわないように次の夏休みに備えていたんだ。

だけど、よく考えてみたら、今は夏だから、秋から春にかけて選んだメニューは、どうも夏にはしっくりこない。だから、せっかく切り抜いたメニューも、ほとんど役に立たなくて、ここ一か月の間に集めたメニューで勝負しなくてはならない。

それでも、何もないよりはました。

去年は、毎日毎日、今日も素麺なんだろうかと、ただ怯えていることしかできなかったから。

それに比べたら、こんなささやかな武器でも、僕にとってはとても価値があるのだ。

だけど、今日はうまくいかなかった。

母さん、頼むよ。もう少しちゃんと、このレシピを見てくれないかな。

調理時間10分なんだ。

母さんも楽で、僕も満足できるメニューなんだよ。

だけど、あまりしつこくすると、母さんのイライラは余計にひどくなってしまうから、今日のところは諦めるしかない。

僕は切り抜いたレシピを勉強机の引き出しにしまった。

近所の友達が呼びにきたので、僕は公園へ遊びに出かけた。

だけど、僕はお昼のことが気になって、遊びに集中することができない。

友達は鬼ごっこがしたいと言ったけれど、僕は一人でブランコに乗ることにした。

友達は仕方なく、他の子に声をかけると、キャーキャーと鬼ごっこを楽しんでいた。

僕も、あんな風に無邪気に遊べたらいいのに・・・、なんて思ってしまうくらい、僕にとって素麺は強敵なのだ。

お昼近くになり、いよいよ今日のメニューを何にするのか、母さんが決める頃だ。

僕は、もうソワソワが止まらなくて、友達に先に帰ると告げて家に向かった。

家の前に見覚えのある軽自動車が停まっている。

「あっ、おばあちゃんだ!」

僕の心は、一気に希望でいっぱいになった。

なぜなら、おばあちゃんは料理が得意で、いつも美味しいものを作ってくれるから。

「おばあちゃん、来てるの?」

僕は勢いよく家の中に飛び込んだ。

「おかえり。今日から夏休みでしょ、だから、いいもの持ってきたの」

そう言っておばあちゃんが風呂敷から出したのは、大きな桐箱に入った大量の素麺だった。

僕は、後ずさりすると、そのまま家を飛び出した。

公園まで一気に走ると、鬼ごっこの輪に入り、みんなと一緒になってキャーキャーと声を上げて走り回ったのだ。