早すぎる蝉
僕の家の裏庭には、大きな木が生えている。
毎年夏になると、この大きな木は蝉だらけになる。蝉の泣き声がとにかくうるさくて、暑くても窓を開けることができない。
だから、夏は一日中クーラーつけっぱなし。
僕は、毎年夏がゆううつで、蝉がいなかったらどんなにいいかと思っている。
だけど、裏庭の大きな木は僕が生まれるずっと前からそこにあるから、後から生まれてきた僕が文句を言っても無駄だ。
今年も、もう少しで夏がやってくる。
僕は恨めしい気持ちで、二階の部屋から裏庭を眺めていた。
すると、地面に何か小さなものが動いているのに気が付いた。
僕は、まさかと思いながらも、大急ぎで裏庭に飛び出した。
二階からは小さすぎてはっきり見えなかったけれど、やっぱりそれは、蝉だった。
だけど、その蝉はまだ蝉の形をしていなかった。
それはそうだろう。だって、今は春で、夏まではまだもう少し時間がかかる。
それなのに、その早すぎる蝉たちは土の中から出てきてしまっているのだ。
まだ羽ばたくことも出来ないのに、何を急いで出てきているのか、まったくわけがわからないけれど、このままでは、みんな死んでしまうことだけは確かだ。
僕は、あの夏の暑苦しい鳴き声のことを思い出すと、蝉なんていなくなればいいと今だって思っている。
だけど、いざ目の前でうごめいている、この愚かな蝉たちを見ていると、なんとか助けなければと思ってしまう。
そんなことを考えている間にも、蝉たちがあとからあとから、土から出てきてしまう。
「あ~、だめだよ」僕は、そうつぶやきながら、彼らが出てきた穴に、彼らをせっせと戻してやった。
だけど、一度目覚めた彼らはどうしても地上に出たいようで、埋めたそばからまた地上に這い出してきてしまう。
「こまったなぁ~」僕は、それでもあきらめず、必死になって、彼らを土の中に戻してやった。
「あんた、何してんの」買い物に行っていた母さんが帰って来た。
「蝉だよ。まだ春なのに、蝉が出てきちゃってるんだよ」
僕が答えると、母さんは、「まさか。そんなはずないでしょ」とこっちをちゃんと見ることもしないで、通り過ぎようとした。
「ほんとだよ。ほら、見てよ」
僕が粘っても、「今日、夕飯のあと、バレーだから、忙しいのよ。あんたも、バカな事言ってないで、はやく宿題やんなさい」と言って家の中に入ってしまった。
「ちぇっ、どうしたらいいんだよ」
僕は困り果ててしまったけど、そうしているうちにも、蝉はどんどん地面に這い出してしまって、もっと手に負えなくなっている。
「も~!だめだって言ってるだろう」
僕は、半泣きになりながらも、ふたたび彼らを地中に戻す作業を繰り返した。
だけど、僕一人に対して、彼らは数えきれないほど多い。やってもやっても終わらない。
「まだ、出てきちゃダメなんだって。死んじゃうよ?どうしてわかんないの」
僕の言葉なんて分かるはずないのに、そう言わずにはいられない。
「ねえ、どうすればいいの?誰か教えてよ」
誰もいないのに、僕は思わずそう言っていた。
「私に任せなさい」どこからか、そんな声が聞こえた気がした。
僕は思わず立ち上がって、周りを見渡したけれど誰もいない。
確かに聞こえたはずなのに・・・。
だけど、余計なことを考えている暇はない。彼らは止まってくれないから、僕も休む暇はない。
そんなことを続けているうちに、段々日が傾いてきた。
僕は、こんなことがいつまで続くんだろうと、絶望的な気持ちになって来た。
「そろそろ、どいてくれないか」
また声が聞こえた。
「どいてくれって、どういうこと?」
僕は立ち上がって、誰とも分からない相手に話しかけてみた。
「いいから、少しあっちに行ってなさい」
声の主は少し怒ったように言ったので、僕は訳が分からないまま、それに従った。
僕は縁側に腰をおろして、庭の様子を見ていた。
すると、少しずつ地面が揺れ始めた。
「わっ、わわわっ!地震だ!!」
僕は、家の中に逃げ込もうとしたけれど、体が動かない。
そして、地震は更に強くなり、地面に這い出していた蝉たちが穴の中にふるい落とされていく。
もっともっと地面が揺れて、穴を土が覆っていった。
「わぁ~、すごい!」
僕は、地震の怖さも忘れて、その鮮やかな出来事に驚いていた。
「もう、これで大丈夫」
「えっ?」
その声は、大きな木から聞こえたような気がした。
「今日は全部がおかしなことばかりだ」
さっきまで動かなかった体が動くようになった。
僕は、家の中に駆け込むと、母さんんいる台所へ飛び込んだ。
「ねえ、今すごい地震だったね!」
「はぁ?何言ってんの。地震なんてなかったわよ。おかしなことばっかり言ってないで、エンドウの筋取って」
「ええーっ、すごい地震だったじゃん」
「なぁーんにも揺れてない。ほら、ニュースだって何も言ってないでしょ」
台所のテレビでも地震速報は流れてこない。
「おかしいなl、確かに揺れたのに」
「もー、あんた、今日はほんとに変だよ。ご飯食べて早く寝なさい」
「ちぇっ、僕、嘘なんてついてないのに」
だけど、僕が見たり体験したことを証明することなんて出来はしない。
僕はしかたなくエンドウの筋を取り始めた。
ご飯を食べてお風呂に入って、自分の部屋に戻った。
僕は、部屋の窓を開けて裏庭を見下ろした。
すると、真っ暗だったはずの裏庭が一瞬で真夏の景色に変わった。
大きな木には蝉たちが、たくさんたくさんしがみついて、そして例のごとく、耳を塞ぎたくなるような大声で鳴いている。
そして、なぜだか、蝉たちがくっついている大きな木が笑っている、そんな風に見えたんだ。
僕は、まさか、と思って目をこすった。
だけど、裏庭はもう真っ暗に戻っていて、もう二度とその景色を見ることは出来なかった。
今はもう夏。
今日も、裏庭からは蝉の大合唱が聞こえてくる。
もちろんうるさいけれど、僕は去年よりも、その音が気にならなくなったんだ。